教材研究ラボ
放課後の机で、教科書や付箋のそばのノートに鉛筆で書き込む大人の手元

コラム

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なぜ教材研究をノートに残すのか

教材研究は、授業の前にやって終わりになりがちだ。同じ単元に再会するころには忘れている。残すべきは完成した指導案ではなく、そこに至るまでに立てた「問い」だ。

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目次
  1. 実践する → 振り返る → 忘れる
  2. 残すのは「答え」ではなく「問い」
  3. 指導案はコード、教材研究はコメント
  4. 書くことで、考えが進む
  5. 手で覚えたことを、言葉にして渡す
  6. このノートの約束

実践する → 振り返る → 忘れる

教材研究は、授業の前に一度やって終わりになりがちだ。教科書を読み込み、指導書をめくり、学習指導要領の解説を確かめて、発問を考える。授業が終われば、次の単元の準備が待っている。

そして、同じ単元にもう一度出会うのは、早くても1年後だ。担当する学年が変われば、数年先になることもある。そのころには、何に悩み、どこに面白さを見つけたのか、ほとんど覚えていない。

授業や学級の経験は、放っておくと次のように流れていく。

実践する → 振り返る → 忘れる

上段は「実践する→振り返る→忘れる」と消えていく流れ。下段は「実践する→記録する→読み返す→次の実践に生かす」が円を描いて回り、中心に「年度を越えて積み重なる」と書かれた図

忘れるのは、怠けているからではない。人の記憶とはそういうものだ。だから、覚えておく努力をするより、忘れても取り戻せる仕組みを先に作っておきたい。このノートはそのための場所である。

残すのは「答え」ではなく「問い」

では、何を残すのか。

完成した指導案は、ある教室の、ある日の授業のための「答え」だ。目の前の子どもが変われば、同じ答えはそのまま使えない。一方で、その答えにたどり着くまでに立てた問いは、子どもが変わっても考え直す足場になる。

よく残るもの 本当に残したいもの
完成した指導案 この教材で、子どもに一番出会わせたいものは何か
板書の写真 なぜその順番で板書を組み立てたのか
ワークシート どこでつまずきそうか、それはなぜか
授業の流れ 迷った末に選ばなかった展開と、その理由

指導案はコード、教材研究はコメント

ソフトウェア開発では、コードを読めば「何をしているか」は分かる。けれど「なぜこう書いたのか」は、コードからは読み取れない。だから開発者は、コメントを書き、設計書を残し、変更のたびに理由を記録する。半年後の自分は、ほとんど他人だからだ。

授業も同じ構造をしている。

ソフトウェア開発 授業づくり
コード 指導案・板書・ワークシート
コメント・設計書 教材研究ノート
変更履歴 実践して見直した記録
バグ報告 子どものつまずき

指導案だけを残すのは、コメントのないコードを残すのに近い。動くことは動く。けれど、少し状況が変わっただけで、どこを直せばいいのか分からなくなる。

このサイトの記事に「作成日」と「更新日」を分けて付けているのも、同じ考えからだ。実践して気づいたことを書き足したら、更新日を変える。書き直した跡そのものが、自分の考えの変化の記録になる。

書くことで、考えが進む

もう一つの理由は、書くこと自体が教材研究になるからだ。

分かったつもりでいたことも、文章にしようとすると言葉にならないことがある。たとえば「わり算には等分除と包含除がある」とは言えても、「なぜ同じ式で表せるのか」を子どもに届く言葉で説明しようとすると、手が止まる。

その引っかかりこそが、次に調べるべきところを教えてくれる。書けないところは、まだ理解が浅いところだ。書くことは、自分の理解の穴を見つけるデバッグでもある。

手で覚えたことを、言葉にして渡す

米袋や野菜のコンテナを毎日運ぶ人は、「この箱はだいたい10kg」と手で分かる。その感覚は、数値を暗記するのとは違う確かさをもっている。

ただ、手で覚えた感覚は、そのままでは誰かに渡せない。未来の自分にさえ、うまく渡せない。言葉にして初めて、読み返したり、比べたり、直したりできるようになる。

教材研究も同じだと思う。授業の中でつかんだ手ごたえは、言葉にしておかなければ、次の年には薄れてしまう。

このノートの約束

これから、自分のために次のことを守っていきたい。

  1. 単元ごとに1本、教材研究を書く
  2. 指導案の写しではなく、問い・迷い・理由を書く
  3. 実践したら、気づいたことを書き足して更新日を変える
  4. 学習指導要領や資料で確かめたことと、自分の考えを分けて書く
  5. 子どもや学校が特定できることは書かない

ノートが増えるほど、同じ単元に出会ったときの出発点が高くなる。1年目の自分が立てた問いに、2年目の自分が答える。そうやって少しずつ、授業が自分のものになっていけばいい。